水の不思議な話
1:分子量18の水は常温で液体。それより遥かに重い分子量44の二酸化炭素は常温で気体。
普通なら水は常温で気体のはずなのに、実際は液体。
2:水は色々なものを溶かすことができる。
これができないと、生命は発生できなかった。
3:沸点が異常に高い。
水素結合している物質の沸点は、普通零度以下。
4:熱が伝わり難い。
表面の殆どを海で覆われている地球は、おかげで気温が急変することなく保たれている。
5:表面張力が強い。
このおかげで、生物は血液を体の末端まで送ることが出来る。
6:固体(氷)が液体(水)の上に浮く。
普通、固体になると体積は減少するので固体は液体の中に沈むはずなのに、水だけは固体が浮く。
これがないと、当然流氷はないし、氷河期になれば海は凍りつき海の生物は全滅する。
生物の発生以前に、水の性質がすでに神秘的
「嫌ならやめろ」と言うのは許されるのに、「嫌だからやめる」は甘えと見なされる矛盾を誰か説明してください
自分の作ったものが完璧じゃないとわかってるときに、他人からほめられたいというようないやしい欲求が生じる
電車の先頭車両で子供が「いいねぇ、君いいねぇ」と運転手をしきりに褒めてる。
冴えない時間を一緒に過ごしたやつが友だちだと思う。
人が親になった時、その育児方針は大きく二つに分かれます。
自分が親にこれだけのことをしてもらった、あるいはしてもらえなかったから我が子にはそれ以上のことをしようと考えるタイプと、自分が親にしてもらったのはこの程度だから我が子にはそれと同等か、それ以下でも良しと考えるタイプです。
どちらが正しいというのではなく、夫婦で考え方が一致していることが重要です。夫婦がそれぞれ前者、後者のタイプに分かれると、育児は衝突の繰り返しでしかありません。
子どもを持たない限り、発生しなかったかもしれないすれ違いは、夫婦の各親の代にまでさかのぼり、両家の間に修復できない亀裂を作ることも往々にしてあるのです。
自分がどのように育てられたか、とあくまで「自分」が基準値になる日本の育児では、当事者、親族関係者がそれぞれ「自分は普通」を押し付け合い、接点を探ることさえ困難となるのです。夫婦間だけの衝突に留まらず、子ども、親族関係者にまで問題が飛び火するという点では、事の重大さは希望するセックス頻度の不一致どころではありません。
自分を基準として、第3者である子どもを自分以下にしたいか、以上にしたいか。
これだけは、子どもを持つ予定で結婚する全てのカップルが、子どもを作る前に絶対に確認しておくべき事項です。
この国では育児については協力や理解どころか、一歩でも間違えば非難の対象になることが少なくないと肌で感じる昨今です。養育者の身近に最低限一人は育児方針への理解者がいない限り、親子共々、人生の楽しみを享受することは困難です。
判断に迷ったときは将来そのときのことをどう話したいかを考えて、胸を張って話せるように、いま物語を紡ぎなさい
アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。
そう思って、今回、ある授業で、「コピペのみによるレポート」という課題を出してみた。ネットでアクセス可能な記事や論考の一部を切り貼りして組み合わせることで課題に答えるというものだったが、これがけっこう興味深い結果となった。
一応、評価基準はあらかじめ示しておいた。基本的に接続詞など最低限の文章のつなぎ以外はすべてコピペ文で構成すること、コピペ文にはすべて元 URLを付け検証可能とすること、1つの文章を長々とコピペするよりいろいろなものを組み合わせたものを高く評価すること、同じ内容ならより有力な元サイトからのコピペを高く評価すること、レポートの構成に関してはオリジナリティを評価することなどだが、ひょっとして皆同じ内容になってしまうのではという危惧に反して、内容がけっこうばらけただけでなく、レベルの差がかなりはっきり現れたのだ。コピペでちゃんとレポートが構成できる学生は、それなりに内容を理解しているということなんだろうし、他の人とちがうところから引用していれば、よりていねいにあちこちを探しまわったということがわかる。それにこれなら、コピペかどうかで気を病む必要もない(全部コピペなんだし)。